Dol-fan Blog

Miami Dolphins と NFL を心から愛する人のためのページです。

カリム・アブドル-ジャバー

Dolphins Daily News 7.10―Top 10 DTs

Sun Sentinelのウェブサイトでドルフィンズの歴代DTのトップ10が掲載されていました。

http://www.sun-sentinel.com/sports/miami-dolphins/sfl-miami-dolphins-top-10-defensive-tackles-of-all-time-20170708-photogallery.html

チャック・クリングベイル、ティム・ボウエンス、ポール・ソリアイ、ダリル・ガードナー、マニー・フェルナンデス、ボニー・ホリデーなど懐かしい名前が上がっていました。現役ではダムコン・スーが4位にランクされており、1位はボブ・バウムハワーという1977〜86年まで在籍した選手となっています。

その中でボウエンスとともに印象に残っているのがガードナーです。ガードナーは1996年ドラフト1巡目(全体20番目)でドルフィンズに入団しました。

1996年といえばジミー・ジョンソンがヘッドコーチに就任して最初のドラフトでした。その年のドラフトでは3巡目でRBカリム・アブドル-ジャバー、4巡目でFBスタンリー・プリチェット、5巡目でLBザック・トーマス、6巡目でSショーン・ウッデンなど新人の年から先発として起用された選手が数多くいて、ガードナーもそのうちのひとりでした。

1年目の途中から先発DTとなったガードナーは16試合すべてに出場しています。それから1999年まで全試合に出場しているんですが、最初の3年間では計3.5QBサックしか記録することができませんでした。しかし1999〜2001年までの3年間では34試合で計11.5QBサックを記録しています。

しかし2001年には背中の怪我のために半分の8試合にしか出場できず、そのためにシーズンオフにはドルフィンズを追われ、2002年にはワシントンレッドスキンズに移籍しています。レッドスキンズでは15試合に先発出場して4.0QBサックを記録したんですが、翌年デンバーブロンコスに移籍したものの、わずか5試合にしか出場できずその年を最後にNFLから引退しています。

198cmという大型DTで威圧感は十分だったんですが、プロボウルレベルではありませんでした。しかし背中の怪我がなければもう少しドルフィンズで活躍してくれていたと思います。あのジョンソンが1巡目に指名したほどの選手ですから、素質は十分にあったんでしょう。

いつだったかよく覚えていませんが、ボディビルのコンテストに出場していた時の写真がウェブで公開されており、懐かしく見た記憶があります。

現在はどうしているのかわかりませんが、ウィキペディアを見ると2011年にガールフレンドへのドメスティック・バイオレンスで逮捕されたという残念なニュースも掲載されていました。



ドルフィンズ、思い出の対ベアーズ戦

今シーズンのドルフィンズの第7週の対戦は、アウェイでの対シカゴベアーズ戦です。ベアーズも第6週の対戦相手グリーンベイパッカーズ同様NFCのチームですので、4年に1回しか対戦しません。少ない対戦結果の中で印象にのこっているものと言えば、1997年10月27日にマイアミで行われた一戦です。

この試合は非常に珍しい特別な一戦で、当初は10月26日の日曜日に開催が予定されていました。しかし、当時ドルフィンズの本拠地であったプロプレーヤースタジアム(現サンライフスタジアム)はメジャーリーグベースボールのフロリダマーリンズの本拠地でもありました。そしてその年マーリンズはクリーブランドインディアンスとワールドシリーズを戦ったんですが、その第7戦がマーリンズの本拠地で行われることになりました。

したがって、26日に予定されていたドルフィンズとベアーズの試合とワールドシリーズ第7戦が重なることになり、ドルフィンズの試合が翌日の27日に延期されることとなりました。その結果NFLではその週にマンデーナイトゲームが2試合行われることになったのです。

試合開始前はドルフィンズが圧倒的に有利だとされていました。それもそのはずで、この年ベアーズは開幕から7連敗を喫しており、1勝もできないままこの試合を迎えていました。しかし第1Qにいきなりターンオーバーを喫してベアーズに先制を許したドルフィンズは、第2QにもQBダン・マリーノがエンドゾーン内でQBサックを浴びてセーフティを献上するなど、前半を終わって13-15とベアーズにリードを許しました。

それでも第3QにCBテレル・バックリーのファンブルリターンTDで逆転したドルフィンズは、その後第4QにマリーノからTEトロイ・ドレイトンへの22ヤードTDパス、RBカリム・アブドル-ジャバーの2ヤードTDランがたて続けに決まって、残り試合時間およそ7分となったところで33-18とほぼ勝利を手中に収めたと言ってもいい状況になりました。

しかしここから試合の流れは一変、ベアーズ側に傾いていくことになります。2TD以上の差をつけたということでドルフィンズのディフェンスが気を抜いたのかもしれませんが、ベアーズはQBエリック・クレイマーがWRボビー・イングラムに8ヤードのTDパスを通して、わずか1分半で8点差に迫りました。

直後のドルフィンズの攻撃はスリー&アウト、さらにベアーズの攻撃を止めた後の攻撃でもスリー&アウトとなって、またベアーズにチャンスを与えてしまいました。ベアーズはこのチャンスを活かし、クレイマーがWRクリス・ペンに25ヤードのTDパスを通し、さらに2点コンバージョンもクレイマーからイングラムへのパスが決まって、残り試合時間1分20秒で遂に33-33の同点に追いつきました。

こうなると試合の流れは完全にベアーズのものとなりました。オーバータイムに入って最初に攻撃権を得たドルフィンズでしたが、3回連続で反則を犯した上にパントで攻撃終了、それでもベアーズの攻撃を抑えて再び攻撃権を得たんですが、RBバーニー・パーマリーが1stダウン更新となるはずのパスを落球したあげく、マリーノがQBサックを浴びてボールをファンブルし自陣18ヤード地点でターンオーバーを犯してしまいました。

そして最後はベアーズがKジェフ・ジェーガーの35ヤードFGで乱戦に決着をつけています。ドルフィンズの敗因としては、確かにディフェンスが気を抜いてしまいやすやすとTDを許してしまったこともありますが、33-25となった後からオーバータイムで敗れるまでの間にベアーズディフェンスのブリッツに対処できなかったところにあったと言えます。ベアーズのブリッツに翻弄されたために反則を重ねたり、パスを落球したり、致命的なQBサックを受けたりしてしまいました。

マイアミのスポーツファンにとっては、マーリンズのワールドシリーズ制覇の翌日にドルフィンズのマンデーナイトでの勝利を見るはずだったでしょうが…。私自身も当然ドルフィンズが勝つだろうと思っていましたので、結果を知って信じられない思いでした。

ちなみに昔はNFLとMLBの兼用スタジアムはマイアミ以外にもいくつかあったんですが、このようなケースは他にはなかったと記憶しているんですが、もし間違っていたらごめんなさい。



 

ドルフィンズ、思い出の開幕戦 その2

前回に続き、今シーズンの開幕戦であるドルフィンズとニューイングランドペイトリオッツの過去の開幕戦を振り返ってみたいと思います。

今回は1996年の開幕戦です。1996年といえばドルフィンズにとっては大きな転換期となる年でした。偉大なHCドン・シューラが勇退し、新しいHCとしてジミー・ジョンソンが就任しました。ジョンソンはダラスカウボーイズを2年連続スーパーボウル王者に導き、カウボーイズの黄金時代を築いた名将でした。当然、ドルフィンズでもその手腕が多いに発揮されることが期待されました。

そのジョンソンのドルフィンズHCとしてのデビュー戦となったのが1996年の開幕戦、ホームでの対ペイトリオッツ戦でした。その試合でジョンソンはRBカリム・アブドル-ジャバー、LBザック・トーマス、DTダリル・ガードナー、FBスタンリー・プリチェットといった新人選手を先発として起用して周囲を驚かせました。

その中でもひときわ目立ったのがトーマスでした。トーマスはディフェンスの要のミドルLBとして先発してその試合で大活躍、チームトップとなる9タックルと1QBサックを記録して勝利に大きく貢献しました。結果、ドルフィンズは24-10でペイトリオッツに快勝しています。

トーマスはドラフト5巡目(全体154番目)指名という下位で入団しました。体も小さくNFLで使いものになるのかという懸念もあったようですが、そのスピードとハードタックルで一躍注目されました。

実はドルフィンズはオフのFAでLBジャック・デルリオを獲得しており、本来ならば先発ミドルLBはデルリオが務めるはずでした。しかしトーマスの印象があまりにもよかったために、デルリオはドルフィンズでプレーすることなく開幕前に引退してしまいました。それほどトーマスがすばらしい選手だったということでしょうね。

また、その試合ではアブドル-ジャバーも26キャリーで115ヤードを獲得してTDランを記録、プリチェットも6回のパスレシーブで77ヤードを獲得するとともにランプレーを助けるブロッキングでも貢献しました。さらにガードナーも3タックル、1QBサックを記録するなど他の新人選手も活躍しました。

そして先発QBはダン・マリーノだったんですが、マリーノのパスプレーは試合全体で22回、それに対してランプレーを39回行っています。前年までのマリーノのパスに比重を置いたオフェンスから一変して新しいスタイルのオフェンスを印象付けた試合でもありました。

『3年でスーパーボウル制覇を実現する』これはジョンソンの就任時の公約とも言われた言葉ですが、結局実現できず、ジョンソンも4年間ドルフィンズのHCとして采配を振るいましたが、3回プレーオフに進出したものの、スーパーボウル進出はおろか、AFCチャンピオンにも届きませんでした。

しかしその試合はいまでも鮮明に記憶として残っています。新人選手ももちろんですが、ベテラン選手も非常に活き活きとプレーしていた印象がありました。その中で最も光っていたトーマスでしたが、その後のドルフィンズのディフェンスの中心、そしてチームのハート&ソウルとしての活躍はファンの皆さんもご存知のことと思います。

もしあの試合でジョンソンがトーマスを先発として起用しなかったら、その後のトーマスの栄光もありませんし、もしかしたらすぐにNFLの世界から消えていたかもしれません。近年ドルフィンズのドラフト指名選手(特に2巡目以降)がほとんど活躍できていない現状を見ると、ジョンソンの新人発掘に関する眼力は非常に優れていたと思います。

今年のドラフトでも何人かの選手を指名しますが、ジョンソンHC時代のように多くの新人選手が活躍してくれればチームも向上していけることでしょうね。



 

名前にまつわるトラブル

現在開催されている上海万博では盗作疑惑問題が話題に上っています。盗作とは違うんですが、ドルフィンズでも過去に名前が似ているということでトラブルとなった問題がありました。

かつてドルフィンズにカリム・アブドル-ジャバーというRBが在籍していました。ジャバーは1996年ドラフト3巡目指名でドルフィンズに入団すると当時のHCジミー・ジョンソンが新人の年から先発RBに起用しました。ジャバーはその期待に応えてドルフィンズの新人記録となる1116ラッシングヤードを記録しました。さらに翌年にはランとパスレシーブでNFLトップの16TDを記録して順調にNFLのキャリアをスタートさせていました。

ところがジャバーのジャージはNo.33”ABDUL-JABBAR”と刻まれていたことから、NBAの殿堂入り選手カリーム・アブドル-ジャバー側からその名前の使用についてクレームがつき裁判沙汰となりました。NBAのジャバーのジャージも同じようにNo.33”ABDUL-JABBAR”だったからです。その裁判の詳しい顛末はわかりませんが、結局ドルフィンズのジャバーのジャージに刻まれる名前は”ABDUL”に変更されました。

そしてジャバーは1999年にクリーブランドブラウンズに移籍し、2000年にはインディアナポリスコルツに在籍したのを最後にNFLを去りました。さらに最終的な登録選手名はアブドル-カリム・アル-ジャバーとなっていました。

ジャバーはもとはシャーモン・シャアという名前だったんですが、1995年に宗教上の理由でカリム・アブドル-ジャバーの名前を与えられました。ドルフィンズ入団の時にNo.33を与えられたのはNBAのスーパースターだったジャバーに憧れていたということもあったのでしょう、出身大学も同じUCLAでしたし。それを思うとNBAのジャバーも大学の後輩を相手に大人げなかったかなという気もしました。

しかし権利の問題はいろいろと難しい面もあるので仕方がなかったんでしょう。ただ、ジャバーにとってはそういうフィールド外での問題がプレーに影響したことは間違いないと思いますが、その意味では非常に気の毒でした。ジャバーは線が細くて当たりには弱かったんですが非常にスピードがあっていいRBだったと思います。なにしろ当時のドルフィンズのオフェンスラインは強くなかったですが、それでも新人の年から1000ヤードを突破したのは評価できると思います。

ちなみに1996年シーズンにジャバーが記録した新人のラッシング記録はいまだに破られていませんし、ドルフィンズにおいて1978年シーズン以来の1000ヤードラッシャーとなったことは大きな勲章だと思います。

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