現在開催されている上海万博では盗作疑惑問題が話題に上っています。盗作とは違うんですが、ドルフィンズでも過去に名前が似ているということでトラブルとなった問題がありました。

かつてドルフィンズにカリム・アブドル-ジャバーというRBが在籍していました。ジャバーは1996年ドラフト3巡目指名でドルフィンズに入団すると当時のHCジミー・ジョンソンが新人の年から先発RBに起用しました。ジャバーはその期待に応えてドルフィンズの新人記録となる1116ラッシングヤードを記録しました。さらに翌年にはランとパスレシーブでNFLトップの16TDを記録して順調にNFLのキャリアをスタートさせていました。

ところがジャバーのジャージはNo.33”ABDUL-JABBAR”と刻まれていたことから、NBAの殿堂入り選手カリーム・アブドル-ジャバー側からその名前の使用についてクレームがつき裁判沙汰となりました。NBAのジャバーのジャージも同じようにNo.33”ABDUL-JABBAR”だったからです。その裁判の詳しい顛末はわかりませんが、結局ドルフィンズのジャバーのジャージに刻まれる名前は”ABDUL”に変更されました。

そしてジャバーは1999年にクリーブランドブラウンズに移籍し、2000年にはインディアナポリスコルツに在籍したのを最後にNFLを去りました。さらに最終的な登録選手名はアブドル-カリム・アル-ジャバーとなっていました。

ジャバーはもとはシャーモン・シャアという名前だったんですが、1995年に宗教上の理由でカリム・アブドル-ジャバーの名前を与えられました。ドルフィンズ入団の時にNo.33を与えられたのはNBAのスーパースターだったジャバーに憧れていたということもあったのでしょう、出身大学も同じUCLAでしたし。それを思うとNBAのジャバーも大学の後輩を相手に大人げなかったかなという気もしました。

しかし権利の問題はいろいろと難しい面もあるので仕方がなかったんでしょう。ただ、ジャバーにとってはそういうフィールド外での問題がプレーに影響したことは間違いないと思いますが、その意味では非常に気の毒でした。ジャバーは線が細くて当たりには弱かったんですが非常にスピードがあっていいRBだったと思います。なにしろ当時のドルフィンズのオフェンスラインは強くなかったですが、それでも新人の年から1000ヤードを突破したのは評価できると思います。

ちなみに1996年シーズンにジャバーが記録した新人のラッシング記録はいまだに破られていませんし、ドルフィンズにおいて1978年シーズン以来の1000ヤードラッシャーとなったことは大きな勲章だと思います。