Dol-fan Blog

Miami Dolphins と NFL を心から愛する人のためのページです。

デーブ・ウオンステッド

Dolphins Daily News 12.11―Monday Night Miracle

マイアミドルフィンズとニューイングランドペイトリオッツのマンデーナイトゲームで思い出すのは、2004年12月に行われた一戦です。

この試合を迎えるにあたっての両チームの成績はドルフィンズが2勝11敗、対するペイトリオッツが12勝2敗でした。ドルフィンズの地元マイアミでの試合でしたが、当然ペイトリオッツが圧倒的に有利で、誰もドルフィンズの勝利を予想していませんでした。

しかし、結果は29-28でドルフィンズが第4Qの大逆転劇で勝利を飾っています。最後はQBA.J.フィーリーが4thダウン残り10ヤードからWRダリアス・トンプソンに21ヤードの逆転TDパスを決めました。

そしてディフェンスはその逆転TDのきっかけを作ったLBブレンドン・アヤンバデジョのインターセプトを含む4つのインターセプトをペイトリオッツQBトム・ブレイディから奪っています。

その2004年シーズンはサマーキャンプ直前にエースRBリッキー・ウイリアムスが突然の引退、そしてトレードで獲得したWRデビッド・ボストンもキャンプ中に怪我をしてシーズンアウトとなり、それらも影響して開幕6連敗となりました。その後1勝8敗となったところでHCデーブ・ウオンステッドが解任され、その後をDCジム・ベイツが引き継ぎました。

非常に残念で失望したシーズンだったんですが、その試合での勝利はドルフィンズファンにとって本当に嬉しい勝利となったことを記憶しています。

明日の試合もその時と同様にドルフィンズの勝利を期待しています。


Dolphins Daily News 10.10―OLコーチが辞任

ドルフィンズのオフェンシブラインコーチを務めていたクリス・フォースターが辞任しました。

フォースターが白い粉を吸っている映像がネット上に流れたということで、その責任を取った形になっています。その白い粉が何だったのかというのは明確に報道されていませんが、禁止薬物だったことは明白です。

フォースターのコーチ歴は長く、NFLでは1993年にミネソタバイキングスのTEコーチ兼アシスタントオフェンシブラインコーチに就任して以来、実に23年間のキャリアを誇っていました。また、カレッジでのコーチ歴を合わせると34年間コーチ業に携わっていました。

昨シーズンからドルフィンズでオフェンシブラインコーチを務めていましたが、ドルフィンズには以前も在籍しており、2004年シーズンにはHCデーブ・ウオンステッドの下でオフェンシブコーディネーターを務めました。

フォースターはHCアダム・ゲイスの親友だったようで、日曜日の夜にゲイスに謝罪したようです。ゲイスにとっても気心が知れたコーチがこんな形でいなくなってしまうというのは大きな痛手となるかもしれません。

ドルフィンズは緊急にフォースターの後任を探さなければいけなくなりましたが、それが誰になるのか気になるところです。アシスタントオフェンシブラインコーチのクリス・クーパーが昇格ということもあるんでしょうか。

しかし、今シーズンのドルフィンズには信じられないような出来事が次々と起こります。QBライアン・タネヒルのシーズンアウト、ハリケーンによる開幕戦順延、LBローレンス・ティモンズの敵前逃亡、QBジェイ・カトラーの最悪のオフェンスパフォーマンス、そして今回のフォースターの辞任と何かに取り憑かれているのかと思うほどです。

まあしかし、これが現実ですから受け入れるしかないのですが、まだシーズンも4分の3も残っていますので、チーム一丸となって勝利に向かって進んでいってもらいたいと思います。


数字で振り返る ドルフィンズの50年 Part 4

ドルフィンズの過去49シーズンを1年ごとに1つの数字で振り返る企画。今回はQBダン・マリーノの晩年、そしてHCはジミー・ジョンソンとデーブ・ウオンステッドの時代です。

1996 - 3
この年の1月にドン・シューラが勇退し、空位となったドルフィンズの史上3人目のHCとしてジミー・ジョンソンが就任しました。ジョンソンは1987年にマイアミ大学を全米王座に導き、1992年と1993年にはダラスカウボーイズをスーパーボウル制覇に導いていました。そして、ジョンソンは就任時にドルフィンズを3年でスーパーボウル制覇に導くと公言しました。

1997 - 162
12月14日に敵地で行われた対インディアナポリスコルツ戦で、ドルフィンズは0-41で完封負けを喫しました。この完封負けはドルフィンズにとって1987年11月29日の対バファロービルズ戦に0-27で敗れて以来10年ぶりのことで、それまでドルフィンズは162試合連続で完封負けがありませんでした。

1998 - 34
12月21日にプロプレーヤースタジアムで行われたマンデーナイトゲーム、対デンバーブロンコス戦でドルフィンズは31-21で勝利しましたが、この勝利でドルフィンズはマンデーナイトゲーム通算34勝目となり、この時点でオークランドレイダースを抜いてマンデーナイトゲーム最多勝チームとなりました。ちなみにこの試合は私が唯一現地観戦した試合で、QBダン・マリーノが4つのTDパスを記録する素晴らしい試合でした。

1999 - 62
このシーズンに9勝7敗の成績でプレーオフ進出を果たしたドルフィンズは、第1ラウンドでシアトルシーホークスに20-17で逆転勝利してディビジョナルプレーオフに進出しましたが、そのジャガーズ戦では7-62で大敗しました。そしてその試合がQBダン・マリーノとHCジミー・ジョンソンの最後の試合となりました。

2000 - 40
このシーズン、11勝5敗でAFC東地区優勝を決めたドルフィンズはプレーオフ第1ラウンドでインディアナポリスコルツと対戦しました。この試合はドルフィンズが第3Qまで0-14とリードされながら、オーバータイムにも連れ込んで、最後はRBラマー・スミスのTDランで23-17で勝利しました。そのスミスがこの試合で記録した40回のランプレーはNFLのプレーオフ新記録となりました。

2001 - 5
12月30日に行われた対アトランタファルコンズ戦に21-14で勝利したドルフィンズは5年連続でのプレーオフ進出を決めました。ちなみにその当時5年連続でプレーオフ進出していたチームはNFLの他のチームにはありませんでした。

2002 - 1,853
この年、2つのドラフト1巡目指名権との交換でニューオーリンズセインツからRBリッキー・ウイリアムスを獲得しました。そのウイリアムスは期待に違わぬ大活躍でランで1,853ヤードを獲得してチーム新記録を達成するとともに、NFLのリーディングラッシャーにも輝きました。ちなみにそのウイリアムスの活躍に反して、チームは9勝7敗でプレーオフ進出を逃しています。 

2003 - 67.5
11月21日に行われた対バッファロービルズ戦で、DEジェイソン・テイラーが3QBサックを記録して、通算QBサック数でチーム記録保持者のビル・スタンフィルの67.5QBサックを抜いてチーム新記録を達成しました。

2004 - 5
10月10日に行われた対ニューイングランドペイトリオッツ戦の試合前に、Kオリンド・マレーが足を痛めて欠場しました。そのため急遽ウェス・ウェルカーがキッカーを務めることになり、ウェルカーはキックオフ、エクストラポイントのキック、29ヤードFG、パントとキックオフのリターンの5つのプレーを1つの試合でこなしたNFL史上初の選手となりました。ちなみにその試合でドルフィンズは10-24で敗れましたが、ウェルカーはその週のAFC週間最優秀スペシャルチーム選手に選出されています。


 

ドルフィンズ、思い出の対ライオンズ戦

ドルフィンズの今シーズンの第10週の対戦は、アウェイでの対デトロイトライオンズ戦です。ライオンズとの対戦も通算10試合と少ないんですが、ドルフィンズが7勝3敗と勝ち越しています。その中で印象に残っている試合といえば、アウェイでの試合ではないんですが、地元マイアミで戦った2002年シーズンの開幕戦です。

2002年シーズンといえば、このシーズンから現在のディビジョンに編成が変わっています。そしてドルフィンズに関していえば、この年シーズン前にニューオーリンズセインツとのトレードでRBリッキー・ウイリアムスを獲得しています。この開幕のライオンズ戦はウイリアムスのドルフィンズでのデビュー戦となったわけです。

大学時代にハイズマントロフィーを獲得して、NFLのドラフトではセインツがその年のすべてのドラフト指名権との交換で獲得した指名権で指名され、鳴り物入りでセインツに入団したウイリアムスでしたが、セインツではあまりいい活躍はできませんでした。それだけに、ウイリアムスがドルフィンズでどれだけ活躍できるかは未知数でした。

しかしウイリアムスはそんな不安なムードを払しょくするかのような大活躍、20キャリーで111ヤードを獲得して2つのTDランを記録しチームの勝利に大きく貢献しました。ドルフィンズはそのウイリアムスの活躍もあって、49得点という大量点を記録して勝利しています。

QBジェイ・フィードラーも自身最多タイの1試合3TDパスを記録し、またスペシャルチームでも相手のミスに乗じてTDをあげるなど、計7TDを記録して、結局ドルフィンズはこの試合で計389ヤードをオフェンスで獲得して強さを見せつけました。7TD、49得点というのは、それから現在までドルフィンズはそれを超える成績を残していません。今シーズンは1試合で7つもTDをあげるような、力強いオフェンスの復活を望みたいところなのですが…

ところでこの試合では対戦相手のライオンズにその年のドラフト1巡目指名のルーキーQBジョーイ・ハリントンがおり、この試合でも大量得点差がついたということで第4Q途中から試合に出場しています。しかし、そのハリントンは次にドルフィンズとライオンズが対戦した2006年には逆にドルフィンズの先発QBとしてプレーし、3つのTDパスを決めて古巣ライオンズを破っていますが、なんとも皮肉な巡り合わせと言わざるを得ません。

ちなみに、当時のHCデーブ・ウオンステッドは2つのドラフト1巡目指名権との交換でウイリアムスを獲得し、ドルフィンズはスーパーボウル制覇に勝負をかけたシーズンだったと言っても過言ではありませんでしたが、この開幕戦を見る限りその可能性も大いにあったと思われました。

しかし、そのシーズンは終盤に失速して9勝7敗、翌年もウイリアムスを擁して10勝6敗という好成績を残しましたが、いずれもスーパーボウルはおろかプレーオフ進出もできませんでした。ウイリアムス自身の成績は2002年が1853ヤードラッシングで16TDラン、2003年が1372ヤードラッシングで9TDランと十分な活躍だっただけに、ウイリアムスの活躍がチームのプレーオフ進出に結びつかなかったというのは、非常に皮肉な結果となっています。




ドルフィンズ、思い出の対ジャガーズ戦

ドルフィンズのレギュラーシーズン第8週の対戦相手は、アウェイでの対ジャクソンビルジャガーズ戦です。ジャガーズとの対戦で最も印象に残っているものと言えば、1999年シーズンのディビジョナルプレーオフでの一戦です。この試合はドルフィンズファンにとっては本当に屈辱的な試合でした。

このシーズン、ドルフィンズは9勝7敗でプレーオフに進出しました。1stラウンドでは敵地でシアトルシーホークスと戦い、QBダン・マリーノの活躍で第4Qの逆転勝利を演じて、このジャガーズ戦へとコマを進めました。予想ではドルフィンズは劣勢だったんですが、シーホークス戦の逆転勝利の勢いでなんとかなるかと期待したところもありました。

しかしジャガーズのホームということでスタジアムはジャガーズファン一色で、映像で見ていても何か異様なムードだったように記憶しています。この雰囲気の中でドルフィンズが勝つのは難しいだろうな、と率直にそう思いました。

そしていざ試合が始まると序盤から一方的なジャガーズペースでした。開始直後のジャガーズの攻撃をドルフィンズは止められず、QBマーク・ブルネルからWRジミー・スミスへのTDパスでやすやすと7点を先制されました。

その直後、ドルフィンズの攻撃では最初のプレーでマリーノがいきなりインターセプトを犯してターンオーバー、ジャガーズの攻撃をなんとかFGに止めたものの、その直後のドルフィンズの攻撃はスリー&アウトで終了、そしてその直後のジャガーズの攻撃でRBフレッド・テイラーが90ヤードのTDランを決めて、17-0とジャガーズのリードとなりました。

その時点で試合は完全にジャガーズのものとなりました。直後のドルフィンズの攻撃も、その最初のプレーでマリーノがサックされてファンブルロストし、そのままリターンTDを取られて24-0となってしまいました。

第2Qに入ってもブルネルからテイラーへの39ヤードTDパス、RBジェームズ・スチュアートの25ヤードTDランとビッグプレーを畳み掛けられて38-0となる一方で、その間のドルフィンズの攻撃は1stダウンの更新すらできませんでした。

さらにドルフィンズファンにとって屈辱的だったのは、まだ第2Qも半分以上時間が残っている段階でジャガーズはブルネルをベンチに下げて、控えQBのジェイ・フィードラーを起用してきました。

ドルフィンズは前半終了間際にようやくマリーノからWRオロンデ・ガズデンへの20ヤードTDパスを返したものの、前半を終わって41-7という大差がついて、すでに事実上試合は終わっていました。

後半ドルフィンズは開始直後の攻撃こそマリーノにプレーさせたんですが攻撃が続かずパントに終り、逆にそれで攻撃権を得たジャガーズはフィードラーからスミスへの70ヤードTDパスが決まってドルフィンズに止めを刺しました。

その後ドルフィンズはマリーノをベンチに下げて、控えQBデイモン・ヒュアードを起用しますが当然状況は変わらず、一方ジャガーズは全く攻撃の手を緩めないというか、何かますますのびのびとプレーしているという印象で、フィードラーが38ヤードのTDパスを決めました。

結局第4QにもTDランで7点を追加したジャガーズが62-7という大差でドルフィンズに勝利したんですが、ドルフィンズにとっては得点差もさることながら、2インターセプトと5ファンブルロストで7ターンオーバーを犯し、歴史的大敗を喫してしまいました。

ちなみにこの試合の翌日にHCジミー・ジョンソンが辞任、そしてそれから約2ヵ月後にマリーノも引退を発表しており、ジョンソンとマリーノの最後の試合にしては非常に残念な内容でした。

ところでそのマリーノの引退の一因となったのが、ドルフィンズがFAでフィードラーを獲得したことでした。この試合でドルフィンズのアシスタントHCとしてジャガーズに対峙していたデーブ・ウオンステッドはジョンソンの後任でHCとなり、この試合のフィードラーのプレーにほれ込んでドルフィンズに引き入れました。

フィードラーもシーズン終了後にはFAとなることがわかっていたわけですが、まさかディビジョナルプレーオフで完膚なきまでに叩きのめしたドルフィンズに移籍するとは思っても見なかったことでしょう。

この試合はすでに15年前の出来事になってしまいましたが、マリーノファンの私にとっては、マリーノの最後の試合としては本当に残念で、もっといい形で終わらせてあげたかったと、今でも思っています。


 
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